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2012.07.30

岡村製作所の「モノづくりの精神」

「よい品は結局お得です。」をコーポレートスローガンとして、スチール家具業界の大手である株式会社岡村製作所は、かつて(太平洋戦争)飛行機の製作に携わっていたことはご存知だろうか?

創業者である吉原譲二郎氏は、連合艦隊司令長官である山本五十六が設立した日本飛行機株式会社のエンジニアであった、33歳の時に終戦を迎えた。

戦後はGHQ(連合国総司令部)によって軍需産業が禁止になり、日本飛行機も飛行機の製造を断念せざるを得なかった。社員仲間と共同で今の岡村製作所を立ち上げ、飛行機の材料であるジュラルミンを使って、鍋やフライパンの製造を始める。もちろん、飛行機のエンジニアとして鍋、フライパンをつくることは本意ではなかっただろうし、その日を生きることに精一杯だったのだろう。この鍋、フライパンがヒット商品になる。岡村製作所の原点である「よい品は…」が受け入れられた証しにも思えた。

その頃、横浜に駐留していた米軍司令部からスチール製の机と椅子の調達要望があり製造に携わることとなった。需要は続きオフィス家具が主力になって行く。これがオカムラのオフィス家具の始まりである。

戦後の復興と共にオフィス家具の生産は軌道に乗ってきたが、飛行機をつくりたいエンジニア魂は燃え続けていた。

1952年の日米講和条約によって国産航空機の製造が解禁になり、オカムラは日本学生航空連盟の寄贈用に飛行機を日本大学と共同製作にあたる。1953年4月7日に、浜松飛行場の空を舞う。オカムラの熱いエンジニアの夢がかなった時だった。これ以後はコスト面の問題から飛行機製造には携わっていない。

しかし、オカムラの「モノづくりの精神」は熱かった。飛行機開発が始まった1952年に自社開発のトルクコンバータを搭載した日本初のFF・オートマチック自動車の開発も同時にスタートしていた。製作はすべて社内で行われ、ボディの製造には飛行機の技術が、内装には家具製作の技術が活かされていた。

1957年の全日本モーターショーで、華やかに「ミカサ」はデビューする。1959年にはスポーツタイプの「ミカサツーリング」も販売され順風満帆であった。当時は自動車産業の将来性が未知数であったため、オフィス家具メーカーとして主力事業に専念することを決断する。1960年春までの3年間で約250台の「ミカサ」を送りだした。
飛行機、自動車からの「モノづくりの精神」は今もトルクコンバータや自動倉庫などの物流システムに受け継がれている。

航空機製造(1953)

FFオートマチック車製造・販売(1957)

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